『ガンニバル』を見て「後藤家がなぜあそこまで供花村を支配できているのか」「因習とどう関わっているのか」が気になった人へ。結論から言うと、後藤家はもともと供花村で差別されていた”よそ者”の一族で、山から出た銅で財を成して土地を買い占め、さらに後藤銀の代に村の信仰の中心である来乃神神社の実権まで取り込んだことで、村の因習ごと支配する存在になった。
この記事では、恵介・洋介ら個々の人物の続柄ではなく、後藤家という一族そのものの成り立ち・村における立場・因習との関わりに絞って解説する。人物ごとの相関関係を先に知りたい場合は、相関図の記事を先に読んでおくと理解しやすい。なお、一族の過去と因習の正体に踏み込む内容のため、ここから先は『ガンニバル』シーズン1・シーズン2のネタバレを含む。まだ視聴していない人は注意してほしい。
人物同士の続柄や俳優について知りたい場合は、ガンニバルの相関図・登場人物をわかりやすく整理もあわせてチェックしてほしい。
後藤家とは?供花村を実質的に支配する一族
後藤家は、林業を主産業とする限界集落・供花村の土地の大部分を所有する一族で、本家と分家が入り組んだ構造を持つ。現在の当主は後藤銀、次期当主候補として銀の孫にあたる後藤恵介・洋介兄弟がいる。村長を務める後藤清も後藤家の一員であり、行政の面からも村を掌握している。
単なる大地主というだけでなく、村のもうひとつの権力の中心である来乃神神社とも深く結びついており、この二つの勢力が事実上、供花村という閉じた社会そのものを作り上げている。
後藤家の起源――追われた”よそ者”だった一族の過去
現在は村の支配者である後藤家だが、その出自は「よその土地を追い出された流れ者」だったとされる。一族はほかに行き場のない山中の荒地へと追いやられ、当初は村の中でも底辺に近い立場だった。
転機になったのが、江戸時代に供花村を襲った飢饉だ。当時、来乃神神社には子どもを生贄として捧げる風習があったとされ、その生贄の子どもを盗み出して食べることで飢えをしのいだ集団「カシハベ」が現れる。しかしカシハベの間では、人肉を口にしたことで発症する脳の変性疾患(プリオン病の一種とされる「狂い病」)が広がり、彼らはやがて村から追放された。このカシハベをかばったことで、後藤家もまた村人たちから差別を受け、田畑を取り上げられて荒地へ追いやられることになった。
銅山経営と土地買収――後藤家が力を持つまで
差別され追いやられた荒地だったはずの山から、やがて銅が産出することが判明する。後藤定の代になると、来乃神神社の伝手で銅の販路を得て、その利益をもとに供花村内のほぼすべての土地を買い占めていった。以降、土地を借りる立場の村人たちは後藤家に頭が上がらなくなり、後藤家は来乃神神社と肩を並べる供花村の実力者へと成り上がっていく。
後藤家の土地には大正時代から昭和初期にかけて実際に稼働していた銅山があり、この銅山経営による収益が村の財政そのものを潤したとされる。差別されていた”よそ者”の一族が、皮肉にも見捨てられた山によって村の頂点に立つことになったわけだ。
当主の変遷と後藤銀による実権掌握
後藤家の当主は、後藤定から後藤金次、そして現当主の後藤銀へと引き継がれてきた。銀は定の養女にあたる人物で、村随一の権力者である来乃神神社の神主・神山正宗に取り入ることで、後藤家の実権そのものを掌握したとされる。
後藤家という土地と財力を持つ一族の当主の座に、神社側の後ろ盾まで加わったことで、銀の代の後藤家は供花村における名実ともの支配者となった。銀という人物がどのようにして今の地位を築いたのか、より詳しい経緯はガンニバルの後藤銀とは?若い頃・正体・物語での役割を解説で取り上げている。
終戦を機に確立された現在の因習
現在の供花村を縛っている因習の原型ができたのは、第二次世界大戦の終戦がひとつの節目になっているとされる。この時期、供花村では村人たちと後藤家のあいだで激しい対立が起こり、その混乱を経て銀が正式に後藤家の当主となった。以後、銀は神主の正宗とともに、現在まで続く供花村独自の因習を確立していったとされる。
この因習の核心に深く関わっているのが、村で唯一の産婆(助産師)という銀の立場だ。銀はこの立場を悪用し、死産を偽装することで戸籍のない子どもたちを密かに後藤家の管理下に置いていたとされ、年に一度執り行われる奉納祭は、銀の代になって「あの人」と呼ばれる特別な存在が生贄を口にする儀式へと変えられたとされる。この「あの人」の正体や、因習そのものの結末に関わる部分は、この記事ではあえて詳しく踏み込まない。より深く知りたい人は、正体を専門に扱った記事や結末を解説した記事を参照してほしい。
「あの人」の正体を詳しく知りたい人はガンニバルの「あの人」の正体は?演じた俳優・目的・最後を解説、物語の結末まで踏み込んだ内容を知りたい人はガンニバルのネタバレ・結末を解説|最終回までの重要ポイントを参考にしてほしい。
後藤家の”表と裏”――村人にとってどんな存在か
後藤家は、供花村の中では表向き崇められる存在として振る舞っている。土地を貸し、雇用を生み、行政のトップである村長まで一族から出している以上、村人にとっては逆らいがたい相手だ。その一方で、来乃神神社との根深い癒着構造が指摘されるなど、村人たちの間には後藤家に対する潜在的な怨恨がくすぶっているとされる。
表面上の秩序と、水面下にある恨みや不信感。この二重構造こそが、後藤家をめぐる人間関係を単純な「支配する側/される側」では割り切れないものにしている。
後藤家に伝わる独自の風習――土葬の墓地と葬送儀礼
後藤家には、因習とは別に一族独自の葬送の風習も伝わっている。歴代の当主を含む一族の墓所は供花村の丘の上にあり、現在も土葬を基本とする埋葬が代々続けられているとされる。葬儀では故人を湯灌で清めたのち大きな桶に納め、白装束をまとった一族の男たちがその桶を担いで丘の上の墓地まで運ぶという独自の儀式が行われる。
こうした細部の風習からも、後藤家が単なる「地主一族」ではなく、供花村という閉ざされた土地に根を張った特殊な共同体であることがうかがえる。
よくある質問
後藤家はなぜ供花村を支配できるようになった?
もともと荒地に追いやられていた一族だったが、その山から銅が産出したことで財を成し、後藤定の代に村内の土地を買い占めた。さらに後藤銀の代に来乃神神社の実権まで取り込んだことで、土地・財力・信仰の三方向から村を支配する存在になった。
後藤家はもともとどんな一族だった?
よその土地を追い出された流れ者の一族とされ、供花村に流れ着いた当初は山中の荒地へと追いやられていた。江戸時代の飢饉の際、生贄の子どもを盗んで食べた「カシハベ」をかばったことで、村人から差別される立場でもあった。
供花村の因習は誰が作った?
現在の因習の原型は、終戦を機に当主となった後藤銀が、神主の神山正宗とともに確立したとされる。銀は村唯一の産婆という立場を悪用し、無戸籍の子どもたちを因習に関わらせていたとされる。
後藤家と来乃神神社の関係は?
後藤家は土地と財力、来乃神神社は信仰という、それぞれ異なる形で供花村を支配してきた勢力同士だ。後藤銀の代に両者の結びつきが強まり、根深い癒着構造にあると指摘されている。
まとめ
後藤家は、もともと供花村で差別されていた”よそ者”の一族でありながら、銅山経営で財を成し、後藤銀の代に来乃神神社の実権まで取り込むことで、村の因習そのものを作り上げる存在になった。土地・財力・信仰という三つの力を一族に集中させてきた歴史をたどると、後藤家が単なる「村の権力者」ではなく、供花村という閉ざされた共同体そのものと分かちがたく結びついた存在であることが見えてくる。
作品全体のあらすじや基本情報を先に押さえておきたい人は、ガンニバルとは?あらすじ・登場人物・見どころを解説も参考にしてほしい。今回紹介した後藤家の歴史や因習にまつわる場面を、実際の映像で見返したい人は、Disney+で『ガンニバル』の本編をチェックできる。



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